羽柴秀次と北野松梅院(続)

羽柴秀次の妻となったのは生没年から禅永(1555-1595)の娘だと思っていたが、『北野社家日記』の頭注によると禅興(????-1601)の娘らしい。
娘と孫を殺された北野松梅院は「長袖とて御ゆるしなされ候」(『川角太閤記』)ということであったが、『北野社家日記』によると慶長三年八月、つまり秀吉が亡くなるまで牢籠の身であったようだ。
また小笠原少斎の妻も北野松梅院の娘であるが、『北野社家日記』慶長五年十月十九日に

今朝小笠原少斎女中・子達不残振舞申、禅興各御出也

と少斎の妻子を禅興が供応している記述があった。