蜂屋右京進と蜂屋市兵衛

蜂屋頼隆の没後、大谷吉継に仕えたと考えられる、蜂屋姓の家臣として、蜂屋右京進と蜂屋市兵衛の名前が見える。

蜂屋右京進の実名は書状より隆長と確認できる。蜂屋頼隆からの一字拝領であろう。元の姓は稲壁か。

蜂屋市兵衛の実名は書状に見つけることができなかったが、「新羅之記録」に「越前州敦賀津蜂屋伯耆守頼高之家老蜂屋市兵衛尉高正」という記述がある。頼高が頼隆であれば、高正は隆正となるか。市兵衛は関ヶ原のとき、敦賀城の留守居役であったとされる。「福島正則家中分限帳」に「千五百三十四石二斗 蜂谷市兵衛」という人物を確認できるが、後身であろうか。

蜂屋頼隆時代の蜂屋姓の家臣として、蜂屋又兵衛近勝という人物も確認できるが、頼隆没後の活躍は今のところ確認できていない。元の姓は、同時期に桑山勘三左衛門尉近忠という一字を同じくする人物がいることから、桑山であろうか。