嘘だらけ、池田セン

池田せん、とひらがなで書かれることが多いが、今は後述の史料に従う。池田恒興の娘で、森長可の妻となった女性が池田センで、鉄砲隊を率いて戦ったと、検索すれば山のように引っかかる。読むと、根拠となっているのは『美濃国諸旧記』の「岐阜城を取り囲みし軍勢の内にて、真っ先に城門近くの松並木を楯にとりて、池田方の先手、ものすごく鉄砲を射ちかけるに、城主三介信孝殿も、女めらの弾玉の餌食になるは無念なりと、野間へ落ちたまう」(異同はあるが、概ねこのような内容)という記述のようだが、残念ながら『美濃国諸旧記』にこのような記述は存在しない(近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/948838 参照)。そもそも、そのような女傑がいたら、江戸時代に散々取り上げられているはずである。
池田センが池田恒興の娘で、森長可の妻というのは史料に全く見えず、唯一の活躍の記録も創作。確かなのは『当代記』の「伏見普請役之帳」の「一萬石 池田セン」、これだけである。