黒田長興書状

今井書店古書目録」第13号に載っている黒田長興書状は何年のものか検討した。

吉田斎助所迄、去月十一日之御状拝見、殊更鮭之子籠三尺被送る下、御心入之段、不浅存候、修理大夫殿・式部殿道中御無事ニ、去五日御当着候間、可御心安候、貴様去年より煩故、当年爰元御供無之候由、無御心元存候、随分御保養専要候、猶期後音之時候、恐惶謹言

   黒甲斐守
卯月九日  長興(花押)

梅津主殿様 参

目録には「藩士梅津に宛てた書状」とあるが、文中の「修理大夫殿・式部殿」は佐竹義隆・義[宀+眞]父子と考えられることから、この梅津氏は佐竹家臣の梅津氏であろう。まず佐竹義[宀+眞]の式部少輔任官が承応2年(1653)12月28日、黒田長興が亡くなるのが寛文5年(1665)3月20日なので、承応3年(1654)から寛文4年(1664)の間の書状と分かる。そして「羽陰史略」によると万治3年(1660)4月5日に二人が参府したとある。よってこの書状は万治3年(1660)のものと推測される。また宛先の梅津主殿は梅津主馬利忠のことと思われる。