その後の加藤百助

加藤清正の養子となり、のち実家に戻った加藤百助のその後が明らかになった。

百助行跡荒ク、清正是ヲ制セン為ニ家盛方ヘ戻ス、然ルニ因州於若桜家盛家臣神崎清兵衛ト不計喧[口花]シテ打果死年廿六

何と、喧嘩で命を落としていた。また没年は26歳とあるが、唐入りのとき16歳とあるので、文禄元年に16歳と考えると、1577年生まれとなる。そして1577年生まれと仮定すると没年は1602年となる。

1547-1591 山崎堅家(父)
1567-1614 山崎家盛(兄)
1570-1609 宮城頼久(兄)
1577?-1602? 加藤百助

親兄弟の生没年と並べても妥当な生年である。