天正十年六月、勝竜寺は誰の領地?

山崎で敗れた光秀が勝竜寺に逃げ込んだのは、勝竜寺が細川藤孝の領地だったから、と思っている人が時々いるようだが、

去程に、去年長岡兵部太輔・与一郎・頓五郎父子三人、度々忠節に付いて丹後国下され候。然る間、青竜寺の城上げ申され候。これに依つて、(天正九年)三月廿五日、御番手城代として、矢部善七郎・猪子兵介青竜寺へ両人差遣はされ、永岡知行分改め、居城仕るべきの旨、仰付けられ候キ。(信長公記

とあるように、本能寺の前年に藤孝の領地ではなくなっているようだ。