落合主膳と落合美作

落合主膳正重清は信長、秀吉、清正と仕え、関ヶ原では京極高知麾下で功を挙げて、秀康に仕えて一万石を領したという。『寛政譜』によると万治三年(1660)没とあるが、『南紀徳川史』を読むと大坂の陣の前に没し、子の美作守重長が継いだとある。どちらが正しいか史料が足りなくて分からないが、信長に仕えたという経歴が事実であれば、万治三年(1660)没というのは遅すぎるように思う。重長が寛文二年(1662)没というのも考慮すると。