沼田面松斎祐光

初めは上野之介と称し、兄の三郎左衛門と共に細川藤孝に仕えていたという。三郎左衛門という通称から考えられる人物は藤孝の岳父である光兼と、その長男であり足利義輝と共に討死した光長である。

  • 沼田祐光 ? - 慶長17年(1612)12月28日
  • 沼田光兼 明応5年(1496)? - 永禄3年(1560)4月28日
  • 沼田光長 ? - 永禄8年(1565)5月19日

光兼の弟ではさすがに年を食いすぎか。永禄11年(1568)3月に津軽為信と出会ったとき、すでに息子がいたようなので、光長の弟というのが世代的に妥当か。系図上からは存在を全く見出すことができないので、すべては憶測だが。