山口父子(続・木村重成年齢考)
…+―宗永――――+―修弘 | 玄蕃頭 | 右京亮 | | +―某 +―弘定―――――――女子 勘左衛門 | 左馬助 松平正綱妻 | 妻 木村重成妹 | +―女子 山口光正妻
山口玄蕃頭宗永(正弘とする史料もあるが、今のところ書状では玄蕃頭宗永しか見当たらない)と長男の右京亮修弘は慶長五年の大聖寺城の戦いで死亡。二男の左馬助弘定は生き残り、大坂の陣で討死。慶長四年に定められた詰衆御番之次第の二番に山口左馬助の名前があることから、左馬助は大坂にいて生き残ったか。「土屋知貞私記」は37、8歳と記すが、慶長四年に左馬助という官職を称していたとすれば妥当な年齢であろう。しかしそうなると今度は木村重成の年齢も同書の記す35歳が妥当になってしまう。さて、山口宗永の子孫は松江藩に仕えて、その末裔が山口多聞というが、松江藩士であれば「列士録」に何か載っているのであろうか。「列士録」は活字化が行われているという話なので、いずれ手軽に読めるようになると思われる。完成を待つとしよう。