木村常陸守の最期

『兼見卿記』文禄四年の箇所によると

7/16 木村常陸守於山崎令落髪、重而御成敗云々
7/22 今日木村常陸守息<割注:十六才>、於法花堂切腹、勇者古今不及聞及之由流布了
7/26 木村常陸守女房・同息女於三条川原成敗、常陸守嫡男■■梟首、女子<割注:十三才>、ハツケニカクルト云々

『太閤さま軍記のうち』の記述を裏付ける記録である。