斎藤義龍

戦国史研究』第54号収録の木下聡「斎藤義龍の一色改姓について」に義龍の名乗りの遍歴が載っていたのだが、それによると新九郎高政の初見が弘治二(1556)年九月、義龍が永禄三(1560)年九月九日、一色左京大夫義龍が永禄四(1561)年二月十三日であるから、斎藤義龍斎藤義龍と称していた期間は最大でも四年五箇月ほどとなる。興味深い論考であったが最新号のためコピーできず、メモだけ取る。