2005-05-05 玄琳和尚 歴史 『熊本藩世系附録』は玄琳和尚の実名を光舎または晴光とし、山岸勘解由と称したとしている。また弘治三(1557)年三月生まれとする。ついでに同書によると荒木村安(のち明智秀満)妻の名前は岸、明智光忠妻は花(のち里)、細川忠興妻は春(のち玉)だという。