堀主水

ヤングマガジン』で「Y十M柳生忍法帖〜」が始まった記念に。
柳生忍法帖』には堀主水綱房とあるが、『会津人物事典』によると実名は一積または一勝。同書は旧姓を多賀としており、弟を多賀又八郎・眞鍋小兵衛とする。『藩翰譜』は弟を「多賀井」又八郎としている。検索すると堀主水は和泉淡輪眞鍋氏の家来であった多賀井氏の出であるという記述が見つかった。多賀井氏が眞鍋氏の家来であったことは『南紀徳川史』で確認できる。なお『加藤嘉明公』の載せる書状によると正確には堀主水「佐」であったようだ。また同書より一積という実名が確からしいことも分かる。
おまけ。主水は大坂の陣のとき堀に転落しながらも敵を討ち取った功績により多賀井から堀に改めたというが、堀秀政などで知られる堀氏の苗字も同じような由来であるという(「堀秀重先祖由緒覚書」)。