木下家治

『新撰 仙石家譜』から。大坂落城のとき鴫野の辺りで一人の子供を見つける。服装を見ると秀頼の一族のようで、護身刀に木下家治とあった。そこで連れて帰り、養育して浅村勝八郎と名乗らせた。成長後、召し出して七百石を与えて家臣とし、杉原三郎兵衛家治と称させた。家治の父は権右衛門家長、祖父は与兵衛敬賀といった。敬賀の妹は浅野又右衛門長勝に嫁ぎ、浅野長政を生んだ。次の妹は杉原助右衛門道正に嫁ぎ、後の高台院を生んだ。そして家長は高台院の従兄弟であったので木下を称した。

細かい部分はさておく。妹の情報から敬賀は杉原家次の兄弟と考えられる(家次自身という可能性もあるが、家次の息子は長房しか見当たらないので今は除外する)。『寛政譜』に家次の兄弟として源七郎なる人物がいる。これが敬賀だろうか?

『難波戦記』および『新東鑑』から木下および杉原氏を抜き出してみる。

  • 『難波戦記』木下左京亮秀規、『新東鑑』木下左京亮秀規《一本、左京大夫に作る》
  • 『難波戦記』木下小助 千石、『新東鑑』木下小介秀行 千石
  • 『難波戦記』椙原清三郎 七百石、『新東鑑』杉原三郎喜昌 七百石
  • 『難波戦記』木下伊右衛門 五百石、『新東鑑』木下伊右衛門貞次 五百石

木下左京は『土屋知貞私記』で確認できる。木下家定の五男という。しかし『木下家譜』では存在を確認できない。『土屋知貞私記』では勝俊・利房・延俊・秀秋・左京・外記・内記という兄弟順だが、『木下家譜』は勝俊・利房・延俊・俊定・秀秋・出雲守・玄周南叔とする。外記は出雲守と同一人物であろう。内記は誰を指すか分からない。史料としては『土屋知貞私記』を重視したい。