『本能寺の変と武田松姫』

知らない史料があれこれ出てきたのでその辺はタメになった。牽強付会の感も多々あるが。そして一番笑った箇所。

屏風は、黒田日出男氏の『謎解き 洛中洛外図』(岩波新書)によりますと、「奈良時代新羅より初めて伝わる。」と書かれていて、信長は、新羅の風習も好んでいたようです。(p87)

素晴らしすぎる推測に脱帽。

武田家壊滅後、下嶋政茂が松姫を連れて信忠のもとに行こうとしたのは、四方を眺めたとき北条氏政徳川家康は敵、上杉景勝は姉(もしくは妹)が嫁ぐが織田と交戦中で危機、となると残るは敵ではあるが縁のある信忠を頼るという選択肢しかなかったから。松姫だけ別殿が建てられたのは他の姉妹と違ってすぐに嫁ぎ先に行かなかったから。と、何もひねらずに考えるとこうなるのではないかと思う。