富田重政

を検索するとだいたいどこも生年を1554年としている。『戦国人名事典』がそう書いているからだろう。一方『戦国人名辞典』は1564年とする。没年は両方とも1625年である。こうなると年齢が十歳も変わることになるが、『加賀藩史料』が引用する「富田方穀由緒」の「寛永二年四月十九日六十二歳に而病死仕候」という記述を信じれば後者が正解であろう(『戦国人名事典』は何から引用したのか享年を七十二歳とする)。しかし「富田方穀由緒」もいろいろと合わない点がある。天正三年十一歳で召し出されとあるが、これから逆算すると生年は1565年となってしまう。また富田景政の実子与六郎景勝(「富田方穀由緒」は与五郎とする)が同じ年に十六歳で召し出され、天正十一年に二十五歳で討死したとする。前者に従えば生年は1560年、後者だと1559年となる。とりあえず没年基準で考えるのが確実だと思うので、重政は1564年生まれ、景勝は1559年生まれとしておく。ついでに『越登賀三州志』の解説によると景政は文禄二(1593)年八月八日没の享年七十だそうな。