2010-04-03 益田家略系図 歴史 書状には正重とあったと記憶しているが今は史料に従う。跡目相続の際に知行が減らされるようであれば退転するよう蔵人は遺言していたが、果たして遺領七千石のうちまずは三千石しか与えられなかったことから正質は出奔し、その後は徳島藩に仕えた。 益田持正―――――+―正忠―――――――女子 | ‖ | 益田正信――――――――+―正質 +―女子 蔵人 | ‖ 元和四年十月四日没| ‖ +―女子 蜂須賀正勝―――――――家政 井上高次後妻
2010-04-03 小野木縫殿助 歴史 通称は清次郎。任官して縫殿助。実名は重次、重勝、公郷が見える。妻は島清興女。縫殿助の死後、甥の三丞は山内家に仕え、その子孫は前田家に仕えたという。縫殿助には朝鮮で討死した又六という弟がいたようなので、つじつまは合う。